秋の祈祷週
秋の祈祷週
2016年11月10日 秋の祈祷週 へのコメントはまだありません今週は秋の祈祷週です。今回の祈祷週の読み物は「わたしの使命」というタイトルです。
石川教会では教会や教会員の家庭で毎晩集会を持っています。今回の祈祷週の読み物は「わたしの使命」というタイトルで、今日はその中の「愛ある使命、キリストの方法」という部分でした。
伝道というと、どのようなイメージが浮かびますか?
パプアニューギニアのジャングルの中で汗水たらしながら、イエス様のことを人食い人種に教える人。
ブラジルの奥地で現地の言葉を苦労して学び、小さなボートでアマゾン川の奥地に行って伝道をしている人。
伝道者、宣教者というと、このようなイメージを思い浮かべるかもしれませんし、私は違う、そんな難しいことはできない、と思うかもしれません。
しかし、私たちイエス様に従う者は伝道者であり、宣教者です。
エレン・ホワイトはこう言っています。
「真の弟子はみな伝道者として神の国に生まれているのである。」各時代の希望上234ページ
ヨハネによる福音書4章には人目を避け、昼の時間に水を汲みに来たサマリヤの女の人の話が載っています。彼女はイエスに出会い、イエス様から命の水をいただき、変えられました。それまで人との接触を避け、周りからもあまりよく見られていなかった彼女は自分の町に戻り、救い主に出会ったことを皆に伝え、イエスのもとに連れていきます。
イエスは彼女に言いました。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
彼女はイエスに接し、イエスから命の水をいただきました。それは彼女の中で泉となって自然と湧き出たのです。誰にもそれを止めることはできませんでした。
伝道は何をすればいいのかわからない、難しいもの、訓練を受けた人がすること、と思いがちです。
しかし、祈りと聖書研究を通して命の水を飲んでいると、私たちが命の泉となり、自然と伝道者になるのです。
ですから伝道をするには、私たちは命の水を神様にいただかなければいけません。ないものを他人にあげることはできません。
今日、神様とつながり、命の水をいただき、神様の伝道者、命の泉が湧き上がって周りを祝福する人にしていただきましょう。
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